歴代会長からの一言

本学会の会長を務めていただいた先生方からの一言を掲載しています。

1994-1996年度 難波精一郎会長

音楽知覚認知学会初代会長として

難波精一郎

 日本音楽知覚認知学会発足当時の本学会の歩みは、このホームページ・アーカイブ「学会発足の経緯」に詳しく紹介されている。理事、幹事、会員の皆さんの熱気あふれる活動のお陰で発足当時の諸問題を楽しく乗り切れたのが今でも残る強い印象である。規則の整備や学会誌の発行など相当のエネルギーを要する作業だが、遅滞なく期限に遅れることなく実行できたのは、実務を担当された方々の無私のボランティア精神によるところが極めて大きい。その根底にはこの学会を立派に成長させたいという音好き、音楽好きの熱意・情熱が込められていたことがある。今振り返ってみても、新しくできた学会をみんなの力で支えて発展させようという会員の皆さんの建設的雰囲気の中で、初代会長を務めることが出来たのはこの上ない果報者といえよう。感謝する次第である。

 

1997-1998, 1999-2000年度 大串健吾会長

大串健吾(2012.2.20)

 難波精一郎初代会長の後を受けて1997年度から2000年度まで会長を務めさせていただきました。ついこの間のような気もしますが、前世紀の最後の4年間でした。私は、京都での第1回ICMPC(1989)に引き続いてロスアンゼルス、リエージュ、モントリオール、ソウル、キールなどのICMPCにも毎回出席していたので、まだ研究会の設立時(1988)の気合が続いていたように思います。学会の運営については、梅本尭夫先生と難波精一郎先生にはいろいろと相談もできスムーズに進めて行けたように思います。
さまざまな分野に関心のある会員が「音楽好き」という一点で共通点をもち、年2回の研究発表会にも親しい仲間同士の会として楽しんで参加していただいたように感じております。
「音楽知覚認知研究」編集委員長の阿部純一先生は、たいへん意欲的で年2回の発行を提案され、岡田顕宏さん、吉野巌さん、後藤靖宏さんをアシスタントとして立派な学会誌をきちんと発行していただきました。このご努力とご苦労は忘れられません。
事務局は私の所属していた京都市立芸大とし、幹事には当時非常勤講師であった森下修次さんと当時の大学院生の奥宮陽子さん、宮坂文子さん、貞方マキ子さん、岡林佳子さんの4氏に順次担当してもらい、熱心に仕事をしていただきました。日本もきびしい時代に入って行きますが、今後も会員の皆さんと共に学会を盛り上げていきたいと考えています。

 

2001-2002年度 桑野園子会長

音知会 会長時代をふりかえって

桑野園子

 私は2001年5月から2003年5月まで、会長を務めさせていただきました。
この間、理事の皆様、会員の皆様の温かく、積極的なご支援により、音知会のために、活動できましたことを深く感謝いたします。
編集委員長の阿部純一先生には、大変なご無理をお願いし、毎年、遅れることなく、学会誌を発行していただくことができました。学会誌は学会のいわば顔にあたる重要な刊行物ですので、阿部先生のおかげで定期的に刊行できましたことをありがたく思っております。
また、新しい事業として、学会の活性化を図るため、仁平義明先生には、選奨を制定していただきました。最初の特別賞を梅本堯夫先生にさしあげるべく準備していた折に、訃報をセビリアでお聞きし、とても残念に思ったことが今でも忘れられません。事前に、特別賞を差し上げることを梅本先生にお伝えし、喜んでいただけたことが、せめてもの慰めでした。研究発表会当日、特別賞はお孫さんにお受け取りいただきました。仁平先生には、この他、学会誌に掲載されたすぐれた論文に与えられる論文賞、研究発表会でのすぐれた発表に与えられる研究選奨も制定していただき、副賞としてさしあげるすてきな額縁も用意していただきました。
平賀譲先生には、学会のホームページと mailing list を担当していただき、大変効率よく、学会の情報を皆様にお伝えすることができました。学会誌や研究発表会の場では間に合わない情報も早く皆様にお伝えすることができるとともに、mailing list を利用することにより、郵便で発送する手数も費用も減らすことができるようになり、ありがたく思っております。
事務局を担当していただいた常任理事の加藤徹先生、大阪大学環境心理学研究室の能勢朋子さんには、多大の事務作業をしていただきました。通常の学会事務局の業務の他、毎回の研究発表会の折には、事務局の受付も設けて、学会費をその場で納めていただくことができるようにしたことと、学会誌や研究発表会資料のバックナンバーを受付において、少しでも買っていただきやすいように心がけました。さらに、会費を納めやすいように、1人ずつお名前と、過去の滞納分も含めていくら支払っていただくべきかを印刷した振り込み用紙をお送りすることにより、過去の滞納分をかなり支払っていただくことができ、学会の予算に若干貢献することができました。また、会員であり卒業生の太田公子さんには会計担当の幹事として、お世話になりました。さらに、羽藤律氏や豊島久美子さんにも、研究発表会当日の受付などいろいろと手伝っていただき、大変ありがたく思っております。
初代会長の難波精一郎先生、2代目会長の大串健吾先生のあとを継いで、学会の基盤を整え、会員にとって有益で、魅力のある楽しい学会になるように、心がけてまいりました。時には、研究発表会参加者よりも懇親会の参加者の方が多いこともあるという学会は珍しいかと思いますが、それは懇親会でも、いろいろな方と情報交換をし、また、わからないことを教えていただいたり、あるいは、将来の共同研究が始まったり、研究発表会の時間だけではできない交流ができるからだと思います。今後も、いろいろな学際的な分野の方が交流できる学会として発展することを祈念しております。

2003-2004, 2005-2006年度 岩宮眞一郎会長

岩宮眞一郎

 2003年度より2006年度まで,会長を務めさせていただきました。
この間,学会誌「音楽知覚認知研究」を活性化させるために,「音のデザイン」特集号(11巻,1号,2号)を編集させていただきました。
2005年ソウル(大韓民国)で開催されたAPSCOMでは,日本音楽知覚認知学会会長として招待され,開会式で挨拶させていただきました。
2008年のICMPCの札幌開催を,学会として決定致しました。
学会の倫理規定,会長選出手続きなどを制定しました。
微力ではありましたが,2期4年の任期をなんとか勤めさせていただきました。学会の円滑な運営に協力いただいた,役員の先生方をはじめ会員の皆様に深く感謝いたします。

 

2007-2008年度 仁平 義明会長

仁平 義明

 2007・2008年度の一期間,ワンポイント・リリーフの会長を務めました.実質的には平賀譲先生と星野悦子先生が副会長として,山田真司先生が編集委員長担当常務理事,事務局担当の常務理事として三浦雅展先生が運営にあたってくださり,安心な2年間でした.日頃の学会運営や大会の準備は,会員の皆様には見えにくい地味な実務を担当する事務局・幹事の先生方とその大学で協力者になってくれる大学院生・学部学生の支えがあってはじめて可能になります.この期の研究発表会担当理事は菅野禎盛先生,幹事は田中吉史先生と藤沢望先生でした.仕事を外注できる大規模学会とはちがって,日本音楽知覚認知学会のウェブサイトやMLの管理には平賀先生のような縁の下の力もちが必要でした.お礼申し上げます.
2008年には,北海道大学で安達真由美先生をOrganizerとして10th ICMPCが開催されました.ICMPCでは,日本の音楽知覚認知研究は最先端にあることを実感しました.
2016年には横浜で, 4年に一度オリンピックの年に開催される第31回国際心理学会議 ICP2016があります.Music Psychologyの発表カテゴリーも設けられています.音知会の皆様も多数参加されることでしょう.
古い話になりますが,1980年にライプチッヒで第22回国際心理学会議ICP1980が開催されたとき,アイルランドの詩人トーマス・ムーアの詩のドイツ語訳が羊皮紙に書かれたものを街の骨董店で見つけて求めました.
こう書いてありました.
Musik
 Bei deinen Zauber klängen  
 Erscheint uns Sprach arm und kalt
とはいえ,トーマス・ムーアが音楽に比べれば貧しいとした“言葉”によって研究を地道に表現していくのが,この学会ですね.

 

2009-2013年度 大浦容子会長

大浦容子

 平成21年(2009年)6月から平成25年(2013年)5月までの2期4年間、会長を努めさせていただきました。第1期は星野悦子副会長、中島祥好副会長並びに三浦雅展事務局担当常任理事、第2期は小川容子副会長、中島祥好副会長並びに高橋範行事務局担当常任理事に支えていただき、更に理事、監事、顧問、幹事の先生方のご協力のもとで学会運営を進めました。
その間、平成23年には東日本大震災があり、東北地方を中心に甚大な被害がありましたことは忘れることができません。学会としてできることは限りがありますが、被災地に居住もしくは勤務先のある会員の方々の学会費免除を理事会で決定していただき、学会として少しでもお役に立てるよう努めました。
任期中の取組の一番の成果は、2年分発行が滞っていた 学会誌「音楽知覚認知研究」の発行を、出版年度に追いつくまで進めることができたことです。4年間で6年度分の学会誌を発行したことになりますが、それを可能にした、平成21-22年度の山田真司編集長、平成23-24年度の津崎実編集長を始めとする編集委員の先生方のご尽力、理事会のご協力に心から感謝いたします。
会則の整備、アーカイブの整備についても、担当の理事の先生方を中心に精力的に進めていただきました。また、年2回の研究発表会では趣向を凝らした企画、意欲的な発表と建設的なコメントで盛り上がり、それに続く懇親会では和気藹藹とした意見交換で再度盛り上がるという「音知会の伝統」を引き継いで、次につなぐことができました。これからも音知会が、「音知会の良き伝統」を引き継ぎつつ更なる発展を果たされることを祈念しております。

 

2013-2015年度 星野悦子会長

会長時代の思い出

星野悦子

 2013年6月から2015年の5月まで会長を務めました。前会長の大浦容子先生から会長候補に推薦したいとのお話があった時には驚愕して固辞いたしましたが、先生からの強力なプッシュと熱いエールに根負けして、ついにお引受けしたのでした。
会長に選出されてからの2年間は、今から思いますと夢のように過ぎ去り、その間多くの皆様にお世話になったと感謝でいっぱいです。特に、当時の事務局担当理事の高橋範行先生には本当にお世話になりました。本学会の日本での学術的地位向上のために、念願であった日本学術会議協力学術研究団体の指定を受ける為の書類作成、会員名簿の整備などの諸準備、そして書類提出後には乃木坂にある学術会議事務局へ出向いて二人でヒアリングを受けたこと、などが強く思い出に残っております。お若い割には冷静沈着な高橋先生には、幾度も(さりげなく)良いアドヴァイスで助けられました。また、当時副会長でいらした小川容子先生と山崎晃男先生にも、がっちりと支えていただきました。シャープな小川先生と思慮深い山崎先生のお二人が相談に乗って下さったので、大変に心強かったのを覚えています。当時の常任理事の先生がた、そして理事の皆様にも大変お世話になりました。当たり前のことですが、会長一人では何もできません。周りの方々の協力があってこその会長のお役目であることを、深く心に刻んだ2年間でした。
会長時代に困ったのは研究発表会前のスピーチでした。ちょっとしたご挨拶をそつなくこなすのが苦手でいつも前日は悩ましかったのですが、ある時「人生とは時間を何に使うかで決まります。音楽の知覚認知の研究に関して、これから2日間の時間を使えるのは幸福なことではないでしょうか」とご挨拶した後で、若い会員のかたに「よかったです!」と褒められました。他愛無い自慢話かもしれませんが、会長冥利に尽きる嬉しい思い出です。本学会の今後のご発展を心よりお祈りいたします。